大東亜戦争末期、硫黄島の戦い※で日本軍小笠原方面陸海軍最高指揮官の栗林忠道中将の下で第27航空戦隊司令官として硫黄島いおうとうに駐留する海軍部隊の指揮にあたり戦死した市丸海軍少将から米国ルーズベルト大統領に宛てた手紙を紹介します。
昭和20年(皇紀2605年,西暦1945年)2月16日に始まった米軍の硫黄島攻略作戦は日本軍の敢闘精神、巧みな戦術、最高指揮官の栗林忠道中将の卓越した指揮能力と将兵から勝ち得ていた人望に支えられて補給も支援もそして希望も全くない中で約1ヵ月半も持ちこたえました。己が招いたか否かを問わず逆境に見舞われた組織を少しでも指揮したことがある人なら容易に想像できるように、逆境下で指揮下の人々の士気を維持することは極めて困難です。誰しも己の身がかわいいのは当然で沈もうとする船からは鼠がどんどん逃げていきます。逃げられない島に閉じ込められていたから鼠が出なかったのだと云う人もいると思いますが、米軍の記録から日本軍は最後の最後まで殆どの将兵が戦いを続けたことが分かっています。負け戦では一般に目端の利く鼠が先に逃げ、後に残るのは逃げ遅れた鼠か最後まで踏みとどまって自ら最も刻苦精励し範を垂れる指揮者の志に賛同し責任を共有する真の勇者。その将兵の多くが職業軍人ではなく召集を受けた(いわゆる赤紙で徴兵された)一般の壮士でした。しかも、司令部が消滅する前から通信網が寸断され容易に投降できたのに1ヶ月以上戦い続けました。部隊が全滅して一人になっても戦い続けた我先達わがせんだつ。教育のせい、あるいは日本独特の空気感のせいという人もいるでしょうが、そんなに簡単に人は命を捨てるようにはなりません。神経を痛めつける砲爆撃が24時間続いている状況下に置かれた戦争前は一般市民だった人達です。それが当時の日本人だというにはあまりに切ないですが、それが事実です。我らの祖父、曾祖父であった人々、死線をくぐった彼らが生きていてくれたら戦後の日本の復興にどれほど寄与してくれたか。
米軍の意図が分かっていた彼らは日本を守るために少しでも日本本土への米軍の本格的な空襲・攻撃(一般市民を狙った虐殺)を引き延ばすという目的を卓越した指揮官である栗林中将の元で深く理解していたとしか思えません。教育の役割というなら己の身だけではなく公に尽くす心、自分が己だけではなく大切な人のため、そしてその寄って立つ国があってこその己と家族であるということを想わずにいられません。これはたった百五十年程度の歴史しかなく理論破綻した共産主義とは真逆の日本精神文化・文明、数万年に渡って育まれた日本人の精神構造、合氣道の大本に他なりません。表向きの軽薄な術技に終始し、これ見よがしに観せびらかす者には悲しいかな理解の外にあります。
硫黄島の攻防戦が行われたこの時、日本軍は制海権も制空権も全く失われた状況下で小豆島の約1/5しかない21km2の火山島を巧みに要塞化し、日本陸海軍将兵2万1千名に対して11万(支援部隊を合わせると25万)の最大10~11倍の兵力差がある米軍を苦しめましたが(日本軍が戦死約1万8000名、捕虜約1000名、アメリカ軍は戦死約7000、戦傷約2万2000)、全く補給が無い中では如何せん衆寡敵せず兵力が漸減し、3月26日ついに栗林中将麾下の市丸少将等高級将校を含む司令部による最後の攻撃で組織的な戦闘が終了しました。この最後の戦いは自暴自棄な万歳攻撃ではなく、よく練られた作戦で米軍の航空部隊に大打撃を与えることに成功しました(残存兵力による戦闘はその後4月下旬まで継続した)。
同日、栗林中将と共に戦死したと思われる市丸海軍少将は遺書として米国大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた「ルーズベルトニ与フル書」をしたためていました。そこでこの時、戦闘後に米軍が戦死将兵の遺体を検査することを見越して部下の村上治重大尉等(戦死)に遺書を持たせそれが米軍の手に渡ったのです。相手が仮に支那(China)やソ連(Russia)であればこの手紙は抹殺されるか日本を貶めるために逆用されたと思われますが、米国は7月11日に手紙の内容を新聞掲載し、敢闘した敵(日本)軍を讃える言葉と共に海軍兵学校内アナポリス博物館に今でも展示・保管しています。米軍太平洋艦隊司令長官チェスー・ニミッツ元帥がアナポリスでの展示に尽力しました。
※米国によって描かれ事実誤認も含みますが、映画「硫黄島からの手紙」でも硫黄島の戦いは有名になりました。この日本にとって絶望的な戦いの詳しい解説は沢山の書籍(例:梯久美子著『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』)や各種サイトに掲載されているのでどうぞ参照してみてください。この戦いやサイパン、沖縄などの戦いでの日本軍(人)の敢闘精神は我々子孫に悲しみと共に誇りを残してくれました。「日本人は正々堂々と戦い怒らせると怖い」ということを欧米人だけではなく世界中に知らしめ、それが近隣の野郎国家には垂涎の的、支那や朝鮮、露国が逆立ちしても得られない日本への各国からの尊敬の念の元になっていることを、我々は決して忘れず己が身を律しなければならないのです。我が武産合氣會に集う人達そして曲がりなりにも合気道さらには武道を志す人には勿論、日本の同胞の方々にはどうぞご自分の身にかえてできれば祖父、曾祖父の世代で起こったことを彼らが残してくれた貴重な遺産を今に続く日本人の歴史を正しく振り返り自分の頭で考えて欲しいのです。
日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。
我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。
日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。
之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。
貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。
畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。
之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。
我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。
我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。
我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。
之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。
卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。
之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。
近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。
大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。
卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。
只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。
卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。
大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。
飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。
今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。
卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。
凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。
卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。
願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。
市丸海軍少将
- 原文及び英文の底本:『米国大統領への手紙』平川祐弘 新潮社
硫黄島の戦いについてはこちらのサイトなども参照下さい。
―武産合氣會―