約80年前(令和2年時)、皇紀2601年(昭和16年、西暦1945年)日本は無謀と云われる大東亜戦争に引き込まれました。一時は画期的な戦法で米国の太平洋艦隊を撃滅し(空母機動部隊を生み出したのは日本海軍です)、欧米の植民地であった東南アジアから米国、イギリス、フランス、オランダ等を追い出すことに成功しました。しかし急な拡大に補給線が伸びきり米国の反攻を受けて敗色を深めた挙句、広島長崎だけではなく日本中の各都市、沖縄でも残忍な手段を用いる米国によって一般市民にも多くの犠牲を出して敗北しました。原爆を筆頭にした都市攻撃、民間船病院船まで撃沈するような米国の卑劣な戦法により民間人の死者が激増し、なかでも痛ましいのは戦火を避けようと沖縄から疎開する児童多数を乗せた疎開船(対馬丸)まで撃沈されたのです。因みに卑怯な攻撃だと日本人が思い込まされている真珠湾(ハワイ王国という独立国だったが、西暦1898年に米国に強引に併呑され、当時は米国の準州だった)への空母機動部隊の攻撃は純粋に軍艦・軍事施設のみを対象とした攻撃で誤爆や慌てた米国軍の同士討ちを除く民間人犠牲者は皆無です。
日本が対外戦争で負けたのは天智2年(皇紀1323年、西暦663年)朝鮮の百済を助けるために外征し唐帝国・新羅連合軍に敗れて百済と高句麗の滅亡を決定づけた白村江の戦い以来始めてです。実に約1300年ぶりに負けたことになりますが、国を失うかもしれないほどの大東亜戦争敗北は史上初めての経験でした。なお数少ない外征例の一つである文禄・慶長の役では日本軍が朝鮮全土を席巻し明の参戦で膠着状態となりましたが、戦闘は終始日本優位であり豊臣秀吉の死による撤退で終了したので詳述しません。
昭和の始めは世界の殆どが欧米(白人国)の植民地と化しており、日本はアジアで唯一の独立国(日清、日露の戦いに勝ち外圧を跳ね除け外交・軍事・技術産業、近代独立国家としての機能のほぼ全てを自活できた)でした。自力で国際連合の前身である国際連盟の常任理事国にまでなった日本が様々な要因、愚かなことも不運も含めて米国という超大国を相手に真正面から戦いました。この我先人の苦闘・流血によって初めて世界の白人支配が崩れ、多くの国々が生まれたことに瞑目しましょう。
明治憲法下でも天皇には政治的な実権はなく、日本の弱体化を虎視眈々と狙っていたグローバリストや共産主義勢力が画策し、それらに協力する新聞等に煽られた国民の熱狂にも後押しされて始まった戦争にも関わらず、終わるためには天皇の御決断[御聖断]を仰ぐしかなかった。ここに至っても世界の平和と日本国・国民の安寧を願いながら苦悩された昭和天皇の国民への慈愛に満ちた大御心です。神代より続く天皇と共にある我々日本国民が胸に刻み子々孫々伝えていかねばなりません。終戦の詔書は皇紀2605年8月15日(昭和20年, 西暦1945年)に発布されました。 令和2年/武産合氣會
「詔書」終戦乃詔
(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)
昭和天皇
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦 実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戦 朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス 戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所 真ニ測ルヘカラサルニ至ル 而モ尚交戦ヲ継続セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ 斯クノ如クムハ朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ 是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対し遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス 帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク 且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ 為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝へ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
御名 御璽 昭和二十年八月十四日
各国務大臣副署